現代日本では、患者の望む最期を実現することは非常に難しい。「死は敗北」とばかりに ひたすら延命する医者。目前に迫る死期を認識しない親族や患者自身。そして、病院以外 での死を「例外」とみなし、老いを「予防」しようとする行政と社会。さまざまな意図に絡めと られ、多くの高齢者が望まない最期に導かれていく。
「病院死が一般化するにつれ、自分や家族がいずれは死ぬという実感がなくなり、死は ドラマや小説の中に出てくる出来事でしかなくなっていった」。多くの人びとが死を忘れた ことが、すべての根底にあると著者は考える。
しかし著者の患者たちは、日々の往診の際に著者と語り合ううちに、それぞれの最期の あり方を見いだしていく。8割が病院で死亡する現代日本において、著者の患者は、その 7割が自宅での死を選んでいる。
「死は「普遍的」という言葉が介入する余地のない世界である」。日本の終末医療が在宅 診療・在宅看取りへと大きく舵を切りつつある今、必読の書。
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商品の説明
出版社からのコメント
355人の看取りに関わった往診医が語るさまざまな死の記録。延命のみに長けた現代社会で、患者たちが望み、模索し続けた最期とは。
内容(「BOOK」データベースより)
最後の日々をどう生き、いかに終えるか。その希望はどうすれば叶うのか。さまざまな障壁に直面しながらも、患者に寄り添い、最期のあり方を模索する医師の書。
著者について
小堀鷗一郎(こぼり・おういちろう)
1938年、東京生まれ。東京大学医学部医学科卒業。医学博士。東京大学医学部付属病院
第一外科、国立国際医療研究センターに外科医として約40年間勤務。定年退職後、埼玉県
新座市の堀ノ内病院に赴任、在宅診療に携わり、355人の看取りにかかわる。うち271人が
在宅看取り。現在 訪問診療医。母は小堀杏奴。祖父は森鴎外。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
小堀/鴎一郎(こぼり おういちろう)
1938年、東京生まれ。東京大学医学部医学科卒業。医学博士。東京大学医学部付属病院第一外科、国立国際医療研究センターに外科医として約40年間勤務。定年退職後、埼玉県新座市の堀ノ内病院に赴任、在宅診療に携わり、355人の看取りにかかわる。うち271人が在宅看取り。訪問診療医。母は小堀杏奴。祖父は森鴎外(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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渡部)健康と生き甲斐の活動を進めていくなかで、地域包括ケアシステムというものを学ぶ様になり、その中で看取りという死の迎え方を考えさせられる様になった。そんな中、縁あって小堀先生とお知り合いになれ看取りや死生観を意識することが健康と生き甲斐と切っても切れない繋がっている問題であると痛感し、さらに深まった志を持てる様になりました。
また、この死を生きた人びとを題材として映画「人生をしまう時間」も拝見させていただきました。涙が込み上げ、自分の生き方や今後の活動に多大な影響を受ける内容でした。もし皆様にも機会がありましたらご覧いただけたらと思います。
■追記:そう、あと忘れられないことがあったのを思い出しました。小堀先生がいらっしゃる埼玉県は新座市にある堀ノ内病院へ初めて伺った時に院内で先生が来るのをお待ちしている時にとても不思議な感覚を受けたのが忘れられません。何と表現したら良いのか、病院なので単純に明るいというと語弊があるかもしれませんが何とも温かい雰囲気で色々な病院を行っているので不思議でした。
きっと、堀ノ内病院イズムのようなものが明るく温かい病院の雰囲気を創られているのだと後々に思ったことを今でも思い出し話題にしてしまうくらい印象に残っています。小堀先生と初めて対談させていただいている緊張のその時に、僭越ながらも思わず明るい温かい病院で不思議な気持ちになりました。と伝えってしまったことも覚えています。よい出逢いが人を変える!のでしょうね。
■健康生き甲斐づくり2019 リエゾンフェスタ国分寺(2019/8/14)
▼堀ノ内病院 名誉院長 地域医療センター医師 小 堀 鷗 一 郎
半世紀以上にわたって人間の「生と死」を見続けた小堀さんの選択はどうして生まれたのか。母は小堀杏奴(こぼり あんぬ)さんで、祖父は明治の日本を代表する文豪で医師でもあった森鷗外という随筆一家。そんな小堀先生が2018年、自身の訪問診療医としての看取りの経験を基に『死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者』を執筆した。同書で第67回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。「生と死」を見続けてきた小堀先生に「人として望ましい最期とは」をテーマにお話していただきたいと思います。
※リエゾンフェスタ国分寺でも公演をしていただき感謝です。